文徴明(ぶんちょうめい)

文人 1470-1559 

字は徴明また仲、号は衡山・停雲生など。本貫は県県。儒学の専家に生れたが、少年時、口が不自由で周囲を心配させた。また科挙の試験には九回も落第したが、その高い学識を推されて五十三歳の時、朝林院侍詔を授けられた。破格のことである。しかし北京での官僚生活は必ずしも快適のものではなかった。引留める人もあったが僅か三年で辞去し、故郷の蘇州へ帰って以後九十歳で残するまで戦墨の道を愉しみ、具中四才子と謳われ、文一派の頭領として崇敬された。文徴明は言う迄もなく中国文人の最高峯に位置する人物でいわゆる詩書画三絶に価するものだが、生前死後一貫して言われることは極めて廉潔の土であったことである。