洪遜斎 1590年作七律十二首

水墨紙本立軸 

121×33cm

鳴鶴仙史題簽 木箱付き

 

洪有助(1550-1616)、字は懋遜、号は遜齋を用いた。翁山洪氏の10代目で東軒五房派に所属する。福建省南安の出身で明時代の嘉靖庚戌年に生まれ、萬歷丙辰年に死去する。1576年に舉人、1592年に進士となり、工部郎中、水利鹽法道按察副使、徽州知府等を歴任した洪有助は、厳格に法を執行する清廉な官吏だけでなく、法律を統治し、歴史を治める非常に厳格な学者でもあった。

 

日下部鳴鶴(1838-1922)本名は東作、字は子暘、号は東嶼、翠雨、野鶴、老鶴、鶴叟,別署蘭石山房,墨皇室等を用いた。彦根藩士の田中惣右衛門の次男として生まれる。日本近代書道の父、鳴鶴流派を創始し、明治時代に最も著名な書法家の一人である。中林梧竹、嚴谷一六と並び称された「明治の三筆」のひとりである。日中文化交流に非常に積極的な役割を果たした。